「誰かに認めてもらいたい」
「自分の存在をわかってほしい」
そんな気持ちを持つのは、決して悪いことではありません。
むしろ、それは人が生きる上で自然な欲求です。
ただ、その気持ちを「ひとつの場所」だけに預けてしまうと、心はとても疲れてしまいます。
■ 「認められたい」は悪いことじゃない
私たちは、子どもの頃から「よくできたね」「頑張ったね」と言われることで、自分の価値を感じてきました。
だから、大人になっても人からの承認を求めるのは自然なことです。
でも、もしあなたが
「誰かに嫌われないように」
「仕事で結果を出さなきゃ」
「家庭の中でいい人でいなきゃ」
そう思って頑張り続けていたら注意が必要です。
特に、「私にはこれしかない、これに命をかけているんだ」と、自分の心身を犠牲にして頑張っていたらとしたら・・・。
それが「仕事」だったら、いずれ「仕事」の存在が「私」の存在より大きな物になる。
それが「家庭」だったら、いずれ「家庭」の存在が「私」の存在より大きな物になる。
本当の私、がいなくなってしまいます。
■ 依存先を“ひとつ”にしないこと
仕事や家庭、人間関係など、
「自分の価値を支えてくれる場所」がひとつしかないと、
そこがうまくいかなくなったとき、心の支えがすべて崩れてしまいます。
だからこそ、“依存先を分ける”ことが大切です。
依存というと、あまり良くない印象があるかもしれませんが、
ここで言う依存は「心の寄りかかり先」「安心できる小さな居場所」のことです。
■ “やさしい依存先”のつくり方
やさしい依存先は、頑張らなくてもいられる場所です。
小さなことでもいいです。たとえば――
・好きな音楽を聴く
・好きなカフェに行く
・ペットと過ごす
・趣味に没頭する
・信頼できる人と少し話す
こうした時間が、“自分を保つための小さな支え”になります。
そして、その支えがいくつかあるだけで、
心はぐっと軽くなるのです。
ポイントは、心が楽にいられる、楽しいと感じる空間、時間、です。
■ “自分を支える力”は分散で強くなる
たとえば、一本の枝はすぐ折れてしまいます。
でも、何本か束ねた枝は、簡単には折れません。
心の支えも同じです。
仕事も、家族も、趣味も、自分を支える大切な要素ですが、
「どれかひとつにすべてをかける」より、
「いくつかの小さな支えを持つ」ほうが、ずっとしなやかに生きられます。
人との関係も同じ。
「自分のことをすべて分かってくれる人」は、最終的に自分以外には存在しません。
ですから、人に頼るときには、部分的に頼るのです。
仕事のことなら職場の人に、家庭の悩みなら気心の知れた友人に、ちょっと相談してみる、といった具合にです。
私のすべてを理解して!と何でも1人の人にすべてを相談し続けると、相手も「もう勘弁して」となってしまいます。
なぜなら、自分のことを理解しなければならないのは自分なのに、その仕事を相手に押しつけているからです。相手には相手の人生があるのですから。
■ おわりに
しかし、「理解してほしい」「認められたい」という気持ちは、
誰かに依存する弱さではなく、
“人とつながりたい”という人間の優しさの表れとも言えます。
その優しさを、ひとつの場所だけに預けず、
いくつものやさしい居場所で少しずつ満たしていく。
それが、自分をいたわりながら生きるということですし、
自分を強くする方法でもあります。


